「高翔」命名由来記
大賀 潔(1944年卒業、故人)
屈原の「離騒」の一節 ― 鳳凰翼其承旂、高翺之翼翼。― より「高翔」という言葉を択んでみました。この詩句にある「翼」もまた私達には懐しい文字ですが、翼は「鳥のつばさ」の原義から分れて,辞典によりますと、盛んなるさま・整っているさま・敬い慎しむさま・などの意味を含んでいます。よって前句は、「鳳凰はさかんにわが旌旗をめぐって飛び舞ひ、空高く翔けて威儀よく整う。」と訳されましょう。
楚の国の名臣屈原の「離騒」の一篇は古今の絶唱とあがめられて来ました。楚の懐王に重んぜられていた屈原が讒言を浴びて流攛の身となりつゝ、憂悶極まるところ憤死して護国の鬼たらんとする志が、三百七十四句前篇にこめられております。そして再三「翼を展げて高く翔せ」 という句が出てきます。後日彼自ら泪羅の淵に身を投じたことが、「史記」にも書きとゞめられています。―鳳凰在笯兮鶏鶩翔舞―「鳳凰が籠に押し込められて、鶏や家鴨が空を飛んでいる。」と嘆いた屈原の思いもまた、想えば三十三年の昔、国破れてマッカーサーに翼を封じられた私達の嘆きではなかったでしょうか。私達は未来の航空機の主任設計技師への夢をいだいて、航空学科に学び、難解な流体力学や弾性論をはじめ多くの学問を習得して来ました。そして又現在の諸君は更に高度な理論をマスターして来られた筈です。そうして今なお―高飛兮安翔― 「空高く飛んで安らかに翔りゆく」この思いこそ、鳳凰の、また私達の青春の日の志しではなかったでしょうか。前述しましたように国破れて、翼をもがれた戦前派、そして卒業しても時代の趨勢のために、矢張り翼をもがれ、その才能を生かすことなく籠に押し込められた戦後派の諸君。せめて心のみは「空高く翔けて」航空学科の矜持をいつまでも持ちつゞけようではありませんか。
(同窓会誌第1号1979年発行より)